ほぼフルタイムワーママが都会で自給自足を目指すブログ

ほぼフルタイムのワーママが、緑のない都会で自給自足を目指す軌跡を記していきます。

ベランダ菜園しています

我が家はマンションですが、ベランダが広いです。

以前より、ベランダ菜園をしたいと思っていました。

今年の春、ベランダ菜園を本格始動しました。

 

本格始動前にも、ちょこちょこやっては失敗の連続でした。

牛乳パックを鉢代わりに、ミニにんじんを種から植えましたが、1年近く大きくならず、結局身が3cmほどで収穫。

再生野菜のネギも牛乳パックに植えました。これは定期的に薬味にできて便利ですが、1株なので、少し寂しい。

リーフレタスの種は100円均一のプランターに植えて、収穫を繰り返していますが、株数が少ないので、朝食の付け合せが限界。

 

そこで春に、サカタのタネできゅうりの苗ところたんの苗を買いました。

 

結果……

きゅうりは1本だけ収穫しました。

ころたんは、摘芯を間違えたようで、花は咲くけど実はならず。

 

なんとも苦い結果に、むしろやる気が出てきて、将来はベランダ菜園で自給自足を目指すぞ!と思いました。

今は、ミニかぶとラディッシュの種を植えていて、本葉まで出てき状況で、その他、だいこんやにんじん、じゃがいも、玉ねぎにトライする予定です。

プランター栽培でどれだけ収穫して自給自足できるかわかりませんが、楽しみです。

ブックレビュー「人生後半の戦略書」

図書館で借りて読みました。

かなり読み応えがあり、付箋を貼る手も止まらず、本が付箋だらけに……

著者を含め、対象とする読者は「成功した中年」のようです。

私は成功したとは言い難いですが、それでもかなりためになりました。

20代30代の時に、がむしゃらに働いて、ある程度成果を出したと思える人は、読むのをオススメします。

私自身、そのくらいの時にかなり働いて、仕事中心の生活を送っていて、そのせいで平日の日中に済ませるような用事を全くできなかったです。例えば、区役所に行って書類をもらうとか、病院に行くとか、そういったことを全くできませんでした。今思うと異常ですが汗。

当時は、21時に帰宅するとやることがなくて暇で困ってしまっていました。日付けが変わる前に帰宅できるのが戸惑いになるという、またまた普通でない感覚でした。

私は、幸いにも、これが普通でないということに、30代後半で気付けて、今はこんな生活はしていませんが、本書の読者は、40代を超えてもこのような生活を送っている前提のようです。

このような読者を、著者は「仕事依存症」で「成功依存症」と呼び、アルコール依存症患者と同じように、治していく必要があると言います。

 

以下は、心に残った文書です。

 

P77「私は幸福になるより、特別になりたいのかもしれないわ」
幸福になることより特別になることを選ぶ人は、依存症に陥っているのです。

P78 私がこれまで見てきた中で、特にたちが悪く毒性の高い依存性は、仕事依存症です。

P80 個人的には次のように尋ねた方が的を射ていると思います。1.仕事後に大切な人のために使うエネルギーを残しておけず、抜け殻のようになるまで仕事をやめられませんか?

P81 仕事依存症の人は、自分の求める成功を実現するには14時間目の労働が必須だと信じ込んでいます。しかし実際には、その時点になると生産性は極端に下がる可能性が高いです。経済学の研究では一貫して、1日当たりの労働時間が8時間もしくは10時間を超えると限界生産性が低下する、という結果が出ています。

P82 あらゆる依存症に共通するのは、人間と愛情関係を結ぶに値しないもの、たとえば酒やギャンブルや賞賛、そして、そう、仕事と、不健全な関係に陥る点です。仕事依存症の人の人生は、仕事に支配されています。そのため、仕事依存症の人は記念日に出張し、我が子の野球試合を見逃します。

P83 仕事依存症の人が本当に求めているのは仕事そのものではなく、「成功」です。身を粉にしてまで働き、手に入れたいのは、お金であり権力であり威信なのです。何故なら、それは世間から承認され、喝采され、賞賛されていることの表れであり、コカインからソーシャルメディアまであらゆる依存性のあるものの例にもれず、神経伝達物質ドーパミンを刺激するからです。

P130 満足=持っているもの÷欲しいもの

P134喪失や病気を経験することで、重要なものがはっきり見えるようになって、人生における不健全な執着に気付くのです。さまざまな研究で示されているように、病気や喪失を乗り越えた人々は心的外傷後成長を体験します。実は、がんと診断されてから長期間生き延びている人々は、人口統計学的に類似の特徴を持つ、がん経験のない人々よりも、高い幸福度を申告する傾向があります。がんの長期生存者に話を聞いてみてください。財産、お金の心配、非生産的な関係といった重しとなっていた愚かな執着から解放された、と答えるでしょう。命を失う脅威は早々に削岩機を手に取り、本当の自分を包み隠している翡翠に当てて、生きる目的を掘り出そうとします。

P152 しかし、その戦略は効果がありません。世間はあなたを忘れます。人々は立ち止まりません。ジャック・ニコルソン主演の人気映画「アバウト・シュミット」では、保険数理士として成功した主人公が仕事を引退したところ、誰からも助言を求められなくなって呆然とします。引退の数日後、仕事を手伝ってやろうと思い元職場に立ち寄ると、同僚たちが自分の過去の仕事を一つ残らず業務用廃棄ボックスに捨てていたのです。あまりにも哀れな、しかし真実を映し出した場面です。

P155 友人や家族に寛大に接することで得られる報いに比べ、昇進などの職業上の見返りがいかに1時的なものか考えてください。あなたにより大きな満足をもたらすものは何ですか?1時間の残業?1時間の人助け?それとも1時間の祈りでしょうか?

P156 要するに、「あと1年しか生きられない、働けない」と思って生きればいいのです。毎月、最終日曜日の午後に、今からあげる疑問について考えてください。キャリアも人生もあと1年しか残っていないとしたら、来月の予定に何を入れるだろう?todoリストには何を載せるだろう?どの悩みを手放すだろう?きっと「配偶者との時間を犠牲にしてまた出張に行く」「上司にアピールするため遅くまで残業する」という予定は入ってこないでしょう。その代わりに、「週末に小旅行をする」「友達に電話をする」といった予定が盛り込まれるのではないでしょうか。

P169 「人生を幸せにするのは何?最も長期にわたる幸福の研究から」ロバート・ウォールディンガー

P190 晩年は特に本当の友達の有無がウェルビーイングに大きく影響します。中年期以降の幸福に大きく貢献する要素の一つが、真の親友を数人スラスラと挙げられることであることは数々の研究により証明されています。

P193 臨終の床にいる老人が家族に後悔を語るお決まりのシーンで、「もっと沢山働けばよかった」という人はいないことを覚えておくと良いでしょう。

 

いかに、仕事に依存し続ける人生が良くないか、分かりました。

今でも、仕事は楽しいので、気付くと残業、ということはありますが、たいていの場合、帰宅後に力が残っていなくて、家族に優しくなれない自分に自己嫌悪を感じていました。

いくら楽しいからといって、人生の優先順位を間違えてはならないと、思いました。

 

 

ブックレビュー「ソーラー女子は電気代0円で生活しています!」

この本もkindle unlimitedで読みました。

テレビで何度か見たことのある著者。お子様も独立されて一人暮らしだったような記憶がありました。女子とはなんと便利な言葉か……と思います。明らかに女子ではなく、マダムの年齢の方です。

私は、書籍のタイトルの付け方に割と不満を持ちやすいです。

特に、翻訳本にありがちな、原題と全く異なる、売るためだけに付けられたタイトルには怒りを感じます。売るためだけに変なタイトルにしないでほしい……出版業界は収益的に厳しいのは承知ですが、それでも、こういうことはやめてほしいです。

 

今回の本のタイトルも、ソーラーおばさんとかソーラーマダムだとなんかな……ということでソーラー女子になったのかもしれないですが、50~60代の女性に対して女子を使うのはいささか失礼だよな、と感じました。

 

ところで本の内容です。

本ではなく、中身はマンガでした。

マンガなのでするする読めました。

著者が、東日本大震災をきっかけに、電気を電力会社に依存する生活から脱する過程が描かれています。

また、著者には節電仲間がいて、ソーラークッカーや、植木鉢冷蔵庫といった、電気に頼らないモノの紹介もあります。

 

私が一番勉強になったのは、太陽光発電システムの作り方と、電気工事士の資格取得の部分です。

ベランダ発電したいなと思っていたものの、火事とか爆発とかそういう事故が起きたら嫌だなという気持ちが勝って、踏み出せませんでした。

しかし、このマンガでは、ベランダ発電の方法を詳しく解説していて、なおかつ著者は、一度電気ショートを起こしてしまったことで、電気工事士の資格を取ることを決意し、無事取得しています。

 

私は怖がりなので、電気工事士の本を読んで、技能を身につけてからベランダ発電したほうがいいかもな…と思いました。

 

まとめると、タイトルは不満ですが、内容はとてもためになりました。

 

自宅の庭やベランダでできる太陽光発電に興味のある方にオススメの本(マンガ)です。

 

ブックレビュー「ブルシット・ジョブ クソどうてもいい仕事の理論」

何かで知ってずっと読みたいと思っていた

「ブルシット・ジョブ クソどうてもいい仕事の理論」

デヴィッド・グレーバー著

岩波書店

を読みました。

結構長い本です。

 

ケインズ経済学のケインズが、週15時間労働で済むようになり、人々は暇な時間の過ごし方に悩むようになる、と言ったことは有名ですが、実際にはそのようになっていないのはなぜか、という問いが、この本には書かれています。

ロボット化はかなり進みつつあり、そのため、実際には週15時間労働で済むような仕事量しかないのに、それを埋めるブルシット・ジョブが生み出されているために、人々の労働時間は減らない、と著者は言います。

 

ブルシット・ジョブの定義は控え忘れましたが、つまりは、その仕事をしている本人がブルシット・ジョブだと認識しているような仕事のこと、という意味だったかと思います。主観に頼らざるを得ないとのことです。

書類を埋めるような仕事だったりを指すようです。

 

著者は最後に、解決策としてベーシックインカムをあげています。ベーシックインカムがあれば、ブルシット・ジョブをしようと思う人々は確実に減るだろうとのことです。

 

たしかに、そうだよなと感じました。

 

心に響いた箇所はふせんをつけたのですが、それが以下の文章です。

「かつてニューヨークの地下鉄に掲げられた教員募集の広告には「こんなに立派になれたのはあなたのおかげですと20年後に保険査定人にいうひとはいない」という文言があった」

 

ブルシット・ジョブを行っている人は、ブルシット・ジョブでない仕事を行っている人(例として、保育士、教員だったり、ごみ収集人だったりといった、リアルに必要な仕事を行っている人)よりも給料が高いということです。それで、ブルシット・ジョブを行っている人は、彼らが低賃金なのは、意味のある仕事を行えているから(意味のない仕事をして日々自尊心を傷つけているような自分とは違って)、当然なのだ、という羨望や嫉妬の感情があるとのことです。

こういったことを端的に表したのが、上記の文章なのだろうなと思いました。

 

この本を読んで、確かに、世の中に絶対になくてはならない仕事は給料が低いのはなぜだろうと思っていたことの謎が解けました。それと同時に、保育士や介護士や教員、ごみ収集人等々の給料を上げることができれば、世の中は変わるのではないか、と思っていたのですが、それではブルシット・ジョブ自体はなくなることはないだろうから、やはりブルシット・ジョブをなくすには、ベーシックインカムだろうなと思いました。

 

私がやっている仕事がブルシット・ジョブかどうか、ですが、私自身はブルシット・ジョブだとは全く思っていないです。仕事がつまらない、意味がないとも思わないです。ただ、いわゆるオフィスワーカーで、書類を作る仕事をしています。

そういった点で、ブルシット・ジョブかどうかは主観による、という著者の主張が腑に落ちました。

 

途中で、ピューリタリアンとか、昔の世界史やら哲学やらがわからないとついていけないような記述も多々あり、その点は難しかったです。

 

 

 

 

ブックレビュー「田舎で子育てしたいなら自給自足でセミリタイア」

日々感じたことを書こうと思っています。

 

もともとInstagramに読書感想文を書いていたのですが、Instagramだと文字というより写真寄りですし、見ているうちに時間がすぐに過ぎてしまうので、自分自身あまり頻繁に開きたくないので、だったらブログかな、と思いました。

 

いつまで続くかわからないですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

昨日読んで面白かった本が、

三栗祐己さんの

「田舎で子育てしたいなら自給自足でセミリタイア」

です。

 

 

Kindle unlimitedで読みました。

自給自足のススメですが、自分は都会暮らしで無理だよな……と思っていましたが、小さいアクションから始めようと思える本でした。

 

ただ、こういった先発の方は、ノウハウを伝えることで生計を立てられますが、だんだん自給自足者が世の中のメジャーになると、生計を立てるのが厳しくなりはしないか、そして、けっきょく自給自足せずに労働によって生計を立てることになりはしないか、と思いました。

つまり、今自給自足で暮らせている人も、100%自給自足はしておらず、自給自足できない部分の出費は何かしら働かなくてはならず、その手段として、先行者はノウハウ伝授という収益化の方法があるが、参加者が増えたあとはどうなるのだろう……ということです。