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ブックレビュー「ブルシット・ジョブ クソどうてもいい仕事の理論」

何かで知ってずっと読みたいと思っていた

「ブルシット・ジョブ クソどうてもいい仕事の理論」

デヴィッド・グレーバー著

岩波書店

を読みました。

結構長い本です。

 

ケインズ経済学のケインズが、週15時間労働で済むようになり、人々は暇な時間の過ごし方に悩むようになる、と言ったことは有名ですが、実際にはそのようになっていないのはなぜか、という問いが、この本には書かれています。

ロボット化はかなり進みつつあり、そのため、実際には週15時間労働で済むような仕事量しかないのに、それを埋めるブルシット・ジョブが生み出されているために、人々の労働時間は減らない、と著者は言います。

 

ブルシット・ジョブの定義は控え忘れましたが、つまりは、その仕事をしている本人がブルシット・ジョブだと認識しているような仕事のこと、という意味だったかと思います。主観に頼らざるを得ないとのことです。

書類を埋めるような仕事だったりを指すようです。

 

著者は最後に、解決策としてベーシックインカムをあげています。ベーシックインカムがあれば、ブルシット・ジョブをしようと思う人々は確実に減るだろうとのことです。

 

たしかに、そうだよなと感じました。

 

心に響いた箇所はふせんをつけたのですが、それが以下の文章です。

「かつてニューヨークの地下鉄に掲げられた教員募集の広告には「こんなに立派になれたのはあなたのおかげですと20年後に保険査定人にいうひとはいない」という文言があった」

 

ブルシット・ジョブを行っている人は、ブルシット・ジョブでない仕事を行っている人(例として、保育士、教員だったり、ごみ収集人だったりといった、リアルに必要な仕事を行っている人)よりも給料が高いということです。それで、ブルシット・ジョブを行っている人は、彼らが低賃金なのは、意味のある仕事を行えているから(意味のない仕事をして日々自尊心を傷つけているような自分とは違って)、当然なのだ、という羨望や嫉妬の感情があるとのことです。

こういったことを端的に表したのが、上記の文章なのだろうなと思いました。

 

この本を読んで、確かに、世の中に絶対になくてはならない仕事は給料が低いのはなぜだろうと思っていたことの謎が解けました。それと同時に、保育士や介護士や教員、ごみ収集人等々の給料を上げることができれば、世の中は変わるのではないか、と思っていたのですが、それではブルシット・ジョブ自体はなくなることはないだろうから、やはりブルシット・ジョブをなくすには、ベーシックインカムだろうなと思いました。

 

私がやっている仕事がブルシット・ジョブかどうか、ですが、私自身はブルシット・ジョブだとは全く思っていないです。仕事がつまらない、意味がないとも思わないです。ただ、いわゆるオフィスワーカーで、書類を作る仕事をしています。

そういった点で、ブルシット・ジョブかどうかは主観による、という著者の主張が腑に落ちました。

 

途中で、ピューリタリアンとか、昔の世界史やら哲学やらがわからないとついていけないような記述も多々あり、その点は難しかったです。